2020年3月22日(日)、小3の次女を連れて筑波山(877m)の南隣に位置する宝篋山(ほうきょうさん、461m)を歩いてきました。日本百名山の一つでもある筑波山の方が知名度もあり人も多いですが、隣の宝篋山もなかなか楽しく登れる、子連れ向けの山ですよ。
日程 | 【日帰り】2020年3月22日(日) |
メンバー | 【子連れ】ぬこはち・まさ・みー |
天候 | 晴れ |
アクセス | 利用交通機関 車小田休憩所そばの無料駐車場を利用。 |
地図・ルート・標高グラフ・移動ペース
歩行距離:6.9km
累積標高:614m(登り)、614m(下り)
歩行時間:3時間18分
休憩時間:1時間49分
グレード:
コース定数:11.8(初心者向き)
コース定数の目安●10前後:体力的にやさしく初心者向き ●20前後:一般的な登山者向き ●30前後:日帰り登山の場合、健脚者向き ●40以上:日帰りでは困難。1泊以上の計画が必要。
行程とコースタイム
- 日帰り
- 行動
- 3時間18分
- 休憩
- 1時間49分
- 合計
- 3時間45分
今回の山行の費用
宝篋山について
宝篋山はつくば市の筑波山から見て、南南東8kmの位置にある標高461mの低山。古くは小田山と呼ばれていて、鎌倉時代中期~文永初期、つまり1260~1270年頃に山頂の宝篋院塔(高さ2.5m)が建てられてからは宝篋山と呼ばれるようになったそうです。地元民には今でも小田山と呼ばれているものの、国土地理院の地形図上の表記が「宝篋山(小田山)」になったという登山雑誌の記事を読んだ記憶があります。2018年年末~2019年前半のヤマケイの記事だったと思うけど。
麓には極楽寺の跡があり、今でも残る五輪塔や鐘楼跡、地蔵菩薩像が草叢に点在している様子は「千と千尋」のワンシーンを思い起こさせる。宝篋山山頂の宝篋院塔が建立された頃、ここ極楽寺を整備して布教の拠点とした忍性(にんしょう)という僧は1261年に鎌倉入りし、鎌倉極楽寺を開山している。この地と鎌倉の意外な繋がりは調べると面白いかも。
宝篋山山頂への登山道で主なものは宝篋山小田休憩所から登るルートで、極楽寺コースと常願寺コースの2つがある。今回はこの小田休憩所そばにある無料駐車場から常願寺コースで登り、下山は極楽寺コースを使います。
小田休憩所
小田休憩所の入り口。利用時間は9:00からなので、朝早く来た場合に使えるトイレは駐車場にある仮設トイレのみ。
下山後にトイレを使わせてもらったが、中にパンフレットなど資料類も置いてあった。
近くには佐竹氏と幾度も合戦を繰り広げた小田城跡が公園として整備されている。
鎌倉時代中期の極楽寺周辺はこうであっただろうと想像して描いた図。
駐車場は小田休憩所の敷地内ではなく、隣接した土地にあります。
駐車場は日曜の朝7:30の時点ですでにいっぱい。
山頂の電波塔はよく見える。
小田休憩所駐車場~常願寺コース
[7:30]準備を整えて出発。しばらく田んぼの中を歩く。ここが常願寺コースと極楽寺コースの分岐点。
うぐいすなど小鳥のさえずりが響き渡る。
昔はさいたまにもこんなせせらぎや小池がありましたね。
動物除けのゲートがあるので、開けて通過。特に何も表示が無いので、山歩きに慣れていない人は面食らうかも。極楽寺コースにも同じタイプのゲートがあった。
しばらくこんな感じ。
宝篋山は初心者向けに道標がしっかり整備されている。
常願寺跡がどこだったのかよく分からなかった。
下の方は杉林が続く。
まず尖浅間(とがりせんげん)というピークを目指します。
この写真だと分かりにくいが、椿の花が咲き誇っていた。
くずしろの滝。登山道が沢沿いなので、涼し気な小滝が次々と現れる。
[8:10]純平歩道分岐。尖浅間をパスしてゆるい傾斜を登れる、地図に載ってないルートが純平歩道にあったような気がする。我々は右へ。
純平歩道分岐からしばらく急登になり、長長坂と表示があった。低山で人の手がよく入っていると何にでも名前を付けたくなるか。
坂自体はそんな大したことはない。
尖浅間山頂まで50m。
[8:45]尖浅間山頂に到着。大岩がゴロゴロしていて樹木が多い。ここからの眺めはまあまあ。
休憩用のベンチとテーブルもある。
尖浅間~宝篋山山頂
楢と桜の合体木。
尖浅間から一旦下る。下った所の鞍部に、純平歩道側へ下る地図に無いルートがあった。そこをトレランのグループが走って下っていったので気付いた。
次女が命名、「豚の角煮岩」。宝篋山は筑波山と同様、隆起して出来た山であり、この様な堆積岩が見られる。この地域は中生代~ジュラ紀頃、海底にあったので泥や砂が積み重なって豚の角煮状の岩が出来上がったのである(次女談)。筑波山の花崗岩はこうした堆積岩の中に入り込んだマグマによって形成されたもので、侵食に抵抗しやすかったので宝篋山よりも標高が高く残ったのでしょう。
こんな居心地の良いベンチとテーブルがあった。
山桜の森かな?まだ何も咲いていない。
宝篋山山頂南側の小ピークが宝篋城跡で、その周囲に土塁の痕跡が残っている。
土塁と対になる堀の跡。戦国時代まで小田城周辺で断続的に発生した戦の痕跡。
宝篋山山頂下のバイオトイレ。
トイレ休憩の後、宝篋山山頂までもうあと一登り。
電波塔の下に到着。表筑波スカイラインからここまで林道が繋がっている。一般車が通行できるかどうかは分からない。
ここにも浅間神社。
[9:30]駐車場から2時間ほどで宝篋山山頂(461m)に到着。
宝篋山山頂
宝篋山から見た筑波山(877m)。ここから女体山まで約8km。何故かこの地域が群発地震の震源地になっている。
常陸国小田の宝篋印塔。鎌倉時代、盛んに作られた宝篋印塔は同じ形状の物が日本各地に見られる。
忍性の指導の元、石匠集団によって作られたと推測される。
[10:00]少々風がありますが、ここでお昼。
ママーのPaletteというパスタ。これは山でも調理しやすい。
ハンバーグドリア。パックのご飯、レトルトの煮込みハンバーグ、とろけるチーズ、デミソースを使用。メスティンで調理。これはうまかった。このメスティンはドイツのメーカー、Mili Camp製のもの。
モンカフェはバッグの部分がコーヒーに浸らないので使いやすい。
スノーピーク・ダブルウォールマグの450と220はこんな感じに重ねて収納可能。自分用と子供用。重ねた状態で450用の蓋をしめられる。
宝篋山から南東へ約10kmの距離にある霞ヶ浦がうっすらと見える。右の電波塔の下に宝篋城の跡があるので下山時に寄り道してみる。
このタイプのマニ車は高尾山を思い出す。
宝篋山山頂から極楽寺コースで下山
[11:20]極楽寺コースで下山。最初の分岐で右に行くと小田城コース。
宝篋城跡に何があるのか気になったので寄り道。
特に何も残っていなかった。
宝篋城跡の標識とテーブルとベンチがあるのみ。
宝篋城跡から元のコースに復帰し、すぐに南への分岐に入ると極楽寺コース。純平歩道に合流し、しばらく歩くとハナミズキの白い花が満開だった。この白い花は麓の駐車場からも見えましたね。
筑波山のように、奇岩に名前を付けようとする努力がうかがえる。
次女は肉じゃが岩と命名。
ワニ岩ねぇ、、、我が家にとっては豚の角煮にしか見えないぞ。
極楽寺コースも沢に沿った登山道で、小さな滝が連続して姿を現す。
ゴールデンウィークの頃の上高地によく見られるニリンソウがこんな所に咲いていた。
歩きやすくて気持ちのいい登山道。真夏は暑くて嫌になると思うが。
幸せのハート岩。登山客を呼び寄せようと一所懸命努力している感じがよい。金を使う所が全く無いけど(笑)。
[12:30]極楽寺コースの入り口に到着。ハナミズキと菜の花がきれいに咲いていた。この奥に極楽寺跡がある。
この辺から駐車場まであと10分。
常願寺コースにもあったゲートを開けて通過。
東屋のある公園。
[12:40]小田休憩所駐車場へ帰還。山頂で2時間休憩したのを除いても、行動時間は3時間ほどでした。小さい子連れでも大丈夫な、よく整備された初心者向けの良い山でした。おつかれ山~。
今回の山行を動画で振り返る
Relive ‘2020/03/22 宝篋山’