日程 | 【日帰り】2022年05月08日(日) |
メンバー | ぬこしち・こゆ・みー |
天候 | 曇り |
アクセス | 利用交通機関 車明智平の県営駐車場(無料)の方に止めたが、ロープウェイ利用者は有料駐車場の料金が無料になるチケットをもらえる。 |
以前から気になる存在であった「茶ノ木平」へ明智平から子連れで往復してきた記録です。奥日光の古い地図を見るとロープウェイが架設されていた茶ノ木平は、植物園や小規模ながらもスキー場が設置されていた山上の公園だったようです。昔のガイドブックなどを発見できれば写真で確認できるかもですが、2003年に中禅寺温泉ロープウェイが廃止され、それに伴い茶ノ木平の施設はほぼ全て撤去され、自然にもどされることとなりました。そんな茶ノ木平の現在の様子を目にすることができてよかったよかった。
地図・ルート・標高グラフ・移動ペース
歩行距離:5.7km
累積標高:326m(登り)、310m(下り)
歩行時間:3時間02分
休憩時間:1時間36分
グレード:
コース定数:10.5
コース定数の目安●10前後:体力的にやさしく初心者向き ●20前後:一般的な登山者向き ●30前後:日帰り登山の場合、健脚者向き ●40以上:日帰りでは困難。1泊以上の計画が必要。
行程とコースタイム
- 日帰り
- 行動
- 3時間02分
- 休憩
- 1時間36分
- 合計
- 4時間38分
今回の山行の費用
交通費 | 高速 | 浦和~清滝 | 3,450円 | 計 | 6,900円 |
清滝~浦和 | 3,450円 | ||||
明智平ロープウェイ往復 | 大人1,000円、小学生500円 | 計 | 2,500円 | ||
下山後の温泉 | 日光市営「やしおの湯」 | 大人700円、小学生350円 | 計 | 1,750円 | |
合計 | 11,150円 |
参考リンク
明智平からロープウェイ利用で茶ノ木平まで往復という初心者向けのコースを子連れで歩く
[09:30]いろは坂を登り終えて明智平に到着し、このヘアピンカーブの内側にある無料県営駐車場に駐車しました。ロープウェイ利用者はこのカーブ外側にある有料駐車場の利用券をもらえるので、無理してこのカーブ内側の駐車場に止める必要はないそうです。
明智平から見える大真名子山(左)と女峰山(右)の先っぽ。
明智平と馬返を結んだ日光ケーブルカーの遺跡が気になってしょうがないのだ
明智平ロープウェイの小さなクリーム色の駅舎の横には、いつの間にか新しい乗車券売り場ができていました。そしてその隣に以前は「明智平パノラマレストハウス」が建っていたのですが、2018年に解体されて新たに売店とトイレの建物が完成したようです。上の説明板右上の写真に写っているパノラマレストハウスは日光ケーブルカーが開通した時に建てられたもので、1932年(昭和7年)築だから86年間もここにあったんですね。
明智平パノラマレストハウスの跡に立てられた売店の裏には、ケーブルカーの乗り場が朽ち果てながら残されています。この軌道跡に沿って下ると、第1・第2いろは坂が合流・分岐する馬返にたどり着けます。
2009年にこの軌道跡を子連れで歩いて下りた方の記事がここにありますので、参考に。在りし日の日光ケーブルカーすれ違い部分。下の馬返駅の辺りが見える。ここはちょうどケーブルカーのトンネル馬返側出口から撮ったもの。
ケーブルカーのトンネルの中から撮影するとこんな感じ。
すれ違うケーブルカーの様子。着色してあると当時の雰囲気が分かりやすくてよい。
これはいろは坂の下にあった、ケーブルカーの馬返駅を東側から眺めた写真。この時はまだ第2いろは坂が作られていない。右上に明智平のケーブルカーとロープウェイの駅舎が見える。そしてこのケーブルカー用の鉄橋や馬返駅は今はもう無い。ケーブルカー軌道すれ違い箇所のすぐ上にトンネルが見える。
馬返駅の上にある鉄橋を横から見るとこんな感じだったようだ。左上の山は男体山。
ケーブルカー馬返駅のあった場所はここ。現在は無人のログハウスが立っている。路面電車の馬返駅跡はフェンスで囲まれた草地になっています。路面電車は東武日光駅前から馬返まで往復していたもので、1910年から1968年まで運行していました。
これがケーブルカー馬返駅跡にたつ謎のログハウス。
昭和の終わりまで残っていたらしいケーブルカー馬返駅の写真をこちらのサイト(ページの下の方)で発見!すご~
そしてこの展示車両が東武日光駅前と馬返を結んでいた路面電車。1910年(明治43年)開業で、1968年(昭和43年)に廃業した。路面電車は都会の中を走っているイメージがありますが、東照宮の前を経由していろは坂の手前まで走っていたことに驚き。
明智平ロープウェイで展望台へ上がる
明智平ロープウェイの乗り場隣りにある乗車券売り場。新築したかのように見えて、実は外側だけキレイにしたみたいな感じです。中の階段とか古いままですしね。
明智平ロープウェイはケーブルカーが開業した翌年の1933年(昭和8年)開業で、この改札口の構造物などは当時そのまま。
開業当初の明智平ロープウェイ搬器。
ロープウェイ乗車中に上から見た、明智平の県営無料駐車場。
そしてロープウェイ乗車中、すぐ横に見える明智平と明智平展望台を結ぶ登山道は整備されなくなって久しいようで、通行止めとなっている。階段部分などが朽ち始めているのも見えます。
ロープウェイを降りて階段を上がると、明智平展望台の絶景ポイント。
先日登った男体山もよく見える。
この景色が昔から絵葉書に使われてきた、華厳の滝と中禅寺湖の眺め。男体山の噴火でできた堰き止め湖から流れ落ちる華厳の滝の構造がブラタモリ的でいいですな~。
ところで華厳の滝の手前にある白雲滝をよ~く見ると橋がかかっています。この橋はかささぎ橋といって、1900年(明治33年)に星野五郎平という翁が完成させた「華厳瀧壺道」の一部であり、その道は現在の観瀑台近くに作られた茶屋まで繋がっていたそうだ。
この橋について調べていると、華厳瀧壺道を再発見してかささぎ橋を渡り、華厳の滝の観瀑台までたどり着いて忍び込んだもののエレベーターの営業時間終了後だったため、もと来た道を登り返した猛者のサイトを発見しました(凄)。何だか見覚えのある文章だな~と思ったら、同じ著者の本「廃線跡の記録」シリーズを持っていました(笑)。
資料としてヤフオクで手に入れた昔の絵葉書を拡大して見ると、こちらでもかささぎ橋が確認できました。この絵葉書の写真は「明智平写真部」によるもので、ロープウェイの明智平展望台にあった写真家の事務所兼売店だと思う。当時の展望台には「よろづや喫茶店・売店」、「ひたちや売店」そして「明智平写真部」があった。
ロープウェイが開通したのは1933年(昭和8年)で、1943年(昭和17年)から1950年(昭和25年)までは営業停止していたため、昭和8年~17年頃の写真だと思われる。中禅寺温泉の建物がちらほら見えます。
こちらも同じアングルで撮影された、古い絵葉書の写真。現在は数多くの土産物店や旅館などがひしめく中禅寺温泉に建物が見えないので、これはさらに古い写真だと思われる。そして白雲滝の右横にジグザグに走る線が、星野五郎平翁の作り上げた華厳瀧壺道の一部である。この写真も拡大するとかささぎ橋が見えます。
これは今も残るコンクリート製のかささぎ橋より古いもので、昭和初期の木造だった頃のもの。それ以前は吊り橋だったといわれています。このかささぎ橋周辺は落石が多く、岸壁の崩壊が激しいので一般の人は立ち入らない方が無難です。ごく少数の人しか興味を持たないと思うけど(笑)。華厳の滝それ自体が、男体山の噴火で出来た堆積物を侵食して後退し続けているので、これからも崩壊は進んでいくんでしょうね。華厳の滝を古い絵葉書と現在の写真で見比べてみると、崩落した場所がよく分かる。
明智平展望台から茶ノ木平へ
[09:55]明智平ロープウェイの展望台脇に登山口がありますので出発~。
無名の1395mピークを通り過ぎてちょっと下る。
枯れ葉の積もった斜面を登り返すと鉄塔広場へ出ます。
[10:14]1395mピークよりもこちらの鉄塔広場の方が開けていて眺めがよろしい。
男体山や日光白根山、中禅寺湖は見えるけど、樹木に邪魔されて華厳の滝は見えない。
この下を1994年に開通した明智第2トンネルが通っています。右側の斜面の下には廃道となった旧道が隠れている。
国土地理院の地図を思いっきり拡大すると1994年まで使われていた旧道が表示される。旧道へは行こうと思えば行けるらしい。
おそらくこの送電線がいろは坂より上の奥日光の電力を全て賄っている。群馬県側や足尾の方から入ってくる送電線は無いですね。この電気はいったいどこから来ているのか、地図で送電線を辿ってみると、大谷川沿いの水力発電所3ヶ所に接続し、さらに鬼怒川の中岩ダム発電所、そしてその先は関東平野の送電網に分岐してつながっていました。あ~面白い😸
この送電線は明智第二トンネルを抜けた先にある東電の中禅寺変電所に接続し、電圧を下げてから中禅寺湖周辺や湯元の方まで電気を送り届けている。
中禅寺湖と男体山を右手に眺めながら鉄塔広場の笹原を進む。
しばらくこんな感じの登りが続き、
展望台らしきものがあった。
眼下の樹木が視界を遮ってしまい、眺望はイマイチ。夏だとさらに何も見えなくなると思われ。
この先は傾斜がゆるくなり、茶ノ木平の平坦なエリアに入る。
非常に歩きやすい。
[11:32]細尾峠への分岐に到着。細尾峠やその先の薬師岳も修験道に関わる古道がある。
この周囲の平坦部が茶ノ木平。
たいらだ。植物園や小規模なスキー場もあったという茶ノ木平にその当時の面影は残っていないようだ。
樹林を透かして見える男体山。
沢を渡る近道でいきます。
沢を渡るところ。
場所はここ。地形図でも少しくぼんでいる。
この標識の横に出てきた。ロープで遮られていたので、どうやら辿ってきた近道のルートは廃道だったらしい。
[11:50]縁石がある歩道の名残っぽいところがあり、そこを進むと
ここが中禅寺温泉ロープウェイ山頂駅(茶ノ木平駅)のあった広場。
とりあえず昼山めしは牛丼
ロープウェイ山頂駅の跡はすぐそこですが、二人がお腹すいたというので先に山ランチの牛丼。ご飯は飯盒炊爨の美味しいやつです。上手く炊けた。そこに湯煎したレトルトの牛丼と、温泉卵と紅生姜をのせて完成~。卵焼きはスーパーでおでんの具のコーナーで発見した真空パックのもの。高校山岳部では牛丼が定番だったのを思い出して作ってみたら娘たちに好評だし、片付けも楽ちんでいいですね。
うみゃいうみゃい。
中禅寺温泉ロープウェイ山頂駅の遺構
ここが1960年から2003年まで営業していたロープウェイ山頂駅のプラットホーム跡。昔の写真を見ると明智平ロープウェイと同じような雰囲気の交通機関だったようだ。2008年頃のここの写真を見ると索道跡沿いに草地が広がり、眺めも良かったようです。14年経った今ではこのように樹木が背を伸ばしつつあり、視界が遮られようとしている。
石積みの上にコンクリートの階段があり、駅舎が存在したが、今では自然に任されている。
ロープウェイは下にある日光自然博物館の隣にあった駅舎に繋がっていた。昔は華厳の滝観瀑台からも中禅寺温泉ロープウェイの搬器が見えたそうだ。山頂駅跡周辺に特に目立つものは残されていませんでしたが、以前から気になっていた場所へ来ることが出来てよかった😺。実は娘たちにはこの本当の目的を言わず、ちょっとハイキングしようと言って連れ出してきました(笑)。
これは91年発行の山と高原地図「日光」の、明智平~茶ノ木平周辺の地図。まだ中禅寺温泉ロープウェイがハッキリと描かれている。また、茶ノ木平には休憩所やスキー場、植物園があったことも分かる。
男体山とその奥にある大真名子と女峰がこんな風に見える。
明智平展望台からは見えなかった日光白根山がここからなら見える。
温度計が木にくくりつけられていて、気温は13℃でした。
最近までここに何か施設があったことを匂わせる配電ボックス。これは撤去しないんかい?と思ったけど、東京電力の持ち物だからですかね?
茶ノ木平から明智平へ往路を戻る
[13:20]茶ノ木平で1時間半ゆっくりした後、来た道を辿って戻ります。
また沢を渡る近道で。近道ではなく、ぐるっと周るルートを取ればスキー場跡を確認できたかもな~。
若干荒れていますが、踏み跡は残っている。
[13:22]沢を渡るルートへの分岐へ戻ってきた。
[13:31]そして細尾峠への分岐。
[13:37]周囲にアカヤシオが咲き乱れている展望台へ戻ってきた。
歩きやすい笹原を下る。
午前中の晴れている時に写真を撮っておけばよかったアカヤシオ。
尾根上の道を下ってゆきます。
[14:07]登りの時も一瞬迷った分岐に戻ってきた。登りの際は道標の表示通り、右へ進み、尾根沿いに登ります。左の「中禅寺線68号」への踏み跡はすぐに消えますが、実はその先で斜面へ下り、沢沿いに馬返へ繋がるルートがかつて存在したようだ。
ここに送電線は無いのに、何故ここに紛らわしい黄色いポールを立てたのか不思議に思ったのだが、ここから沢へ下らず、東へ尾根沿いに下ると次の2つの鉄塔へ楽に辿り着けそうだ。送電線と鉄塔の維持管理用に使われているため、目印としてこの黄色いポールを立ててあるのかもしれません。
矢印が現在地。昭和10年発行の地形図にはこのルートがまだ描かれていたので、第二いろは坂が完成する前は沢沿いのルートを使う人がいたのかも。
[14:08]登りの時にちょっと迷いやすい分岐がもう一つ。登りの際に右へ進むと明智第二トンネル出口へ下ってしまいます。茶ノ木平へは左へ。
この右への分岐も本来は次の鉄塔へ繋がる作業道だったのでしょう。混雑していて強制的にロープウェイを使わされる明智平を嫌い、閉鎖された白雲トンネル脇から登ってくる人が増えたのでこのようなハッキリした登山道になってしまったのだと考えられる。
分岐からちょっと離れて見るとこんな感じ。
鉄塔広場へ戻ってきた。午前中は晴れていたのにどんよりとしてきた。
[14:09]この時間まで山頂に残っている人はいないでしょうが、男体山山頂に雲がかかり始めた。
[14:23]1395mピークの辺りから見た華厳の滝と中禅寺湖。右下に白雲滝が垣間見える。
[14:31]明智平展望台駅に到着。1933年(昭和8年)にどうやって鉄筋コンクリートの建物をここに作ったんだろうか?
2011年に長女とここへ来た時は、アナウンスの時にファミリーマートの音♪が流れていたけど、廃止されたらしい(笑)。この改札口への入口の横、建物の外に階段があり、そこが以前は利用できた明智平~明智平展望台をつなぐ登山道への降り口でした。今は通行止めと掲示されています。
その階段の先の様子。実は2021年10月29日にロープウェイの支索が脱索して非常停止する事故があり、11月20日に営業再開するまでこの登山道は索道の点検に使われまくったことでしょう。
現在の明智平ロープウェイの乗り物(搬器)。
上から見下ろした明智平、と言いたいところだが右の樹木が邪魔をしておる。
明智平展望台から見下ろした昔の明智平の様子がこちら。ロープウェイが完成する前年の昭和7年(1932年)にケーブルカーと共にレストハウスが完成。第二いろは坂はまだ存在していない。この明智平と現在の華厳の滝駐車場のある辺り(中禅寺温泉)を、同じ昭和7年に完成した白雲トンネルと明智トンネルを使って電気鉄道でつなげる案もあったようだが、軌道の敷設は諦めて自動車道に変更したようだ。その鉄道が完成していれば、日光駅~[路面電車]~馬返駅~[ケーブルカー]~明智平~[電車]~中禅寺温泉・華厳の滝へと乗り物を乗り継いで来るルートが完成していたでしょうね。完成して今でも残っていれば立山黒部アルペンルートのミニ版のようになっていたかも。
上の絵葉書の裏面に日付入りのスタンプが押してあった。おそらく昭和11年10月8日のもの。前にも述べた通り、明智平ロープウェイの開業は昭和8年なので、明智平の施設が完成したばかりの頃の様子が分かる。ここと中宮祠(中禅寺温泉)は5台の乗合自動車(つまりバス)で結ばれていた。
別の絵葉書で見た明智平。乗合自動車が4台見えます。
当時の明智平レストハウス前に止められたバス。日光駅—(路面電車)—馬返し—(ケーブルカー)—明智平—(乗合自動車)—中宮祠と移動すると、当時のいろは坂を使って登るよりもかなり短時間で済んだようだ。
絵葉書が収納されていた袋に経路と所要時間が書かれていた。当時のいろは坂(現在の第一いろは坂)は幅も狭く未舗装で、時間を区切って一方通行にしていたらしく、タイミングが悪いと結構時間がかかったでしょう。
樹木が邪魔しないところから撮った現在の明智平。ロープウェイの乗り場は変化していませんが、擁壁の向きや形、駐車場の設置など、周囲の様子は90年前と大きく変化しています。
明智平ロープウェイ山麓駅から見上げた山頂駅方面。
かつて使われていた明智平ロープウェイの搬器。
そうそう上の展望台駅にはトイレがありません
明智平駐車場の様子。右上に明智平ロープウェイの展望台駅が見える。
これがヘアピンカーブを抜けた後の道路際に現れる、明智平展望台への登山道入口。下の入口も上と同じように「通行禁止」と書かれている。
ロープウェイ乗り場前の駐車場入口。2021年7月から有料化(500円)されました。ロープウィ利用者は無料券がもらえます。
1994年に閉鎖された旧道の明智トンネルと白雲トンネルも気になるのだ
明智平の駐車場を出るとすぐにトンネルがありますね。明智第一トンネルといいます。その手前で左にクイッと曲がってゆくガードレールと共にある道路が1994年まで使われていた旧道の名残です。クネクネしている古い道をトンネルと橋で矯正して運転しやすい道に改良する、このような工事の跡は山間部に入るといくらでも目にすることができます。
この明智第一・第二トンネルを作った理由は、広報にっこう平成6年5月1日版によると、大型観光バスを通過させるためにトンネルの高さが必要だったからだそうです。この1994年5月1日版の広報にっこうはpdfで読めましたが、最近(2022年前半)消去されてしまいました。残念。
明智第一トンネルができる前、旧道はこの赤い矢印のとおりに進み、天井の低い?明智トンネルに繋がっていた。
植物で隠れてしまったこの斜面に、塞がれてしまった旧道の明智トンネルが1994年まで口を開けていたのである。この旧道を私は1988年8月に自家用車で、1992年2月に日光駅から路線バスで通ったことがあるのだが、当時は途中のトンネルに興味を持つことなど無かったですね(笑)。そういえば1993年にも高校の戦場ヶ原を歩く行事でバスを使って通ってるな。小学生の時も赤城山と男体山の戦いの話をバスガイドから聞いた記憶があるので、1985年前後も通ったことがある。というわけで、普通の観光バスは旧道を通過していた。それよりも大型の背が高いバスを通したかったようですね。
塞がれた旧道の明智トンネルの向こう側についてのレポートは「山さいがねが」のこちらの記事が詳しい。
陽の当たり方や道のカーブの具合から判断すると、この絵葉書の写真は塞がれた明智トンネルの明智平側のちょうど入口部分だと思う。もうこの光景を見ることは出来ない。これは裏に昭和11年6月24日の日付入りスタンプが押された絵葉書です。当時の個人が撮影した写真はまず無いですが、絵葉書だと今でも良い状態のものが見つかります。
旧道の白雲トンネル出口の様子
明智第二トンネルを抜けるとすぐ、右側から合流してくる道がある。これが現在は塞がれた白雲トンネルからつながってくる旧道の名残である。今ではここに車を止めて茶ノ木平や鉄塔広場へ登る人に使われている。ここに入るにはトンネルを抜けてすぐ、後続車に気をつけながらスピードを落として右に寄せ、バックで入れるしかありませぬ。
旧道の舗装路はここで途切れる。丸石とセメントで段差が作られ、その先は土が盛られて自然に還りつつある。またもや黄色いポールがあった。この踏み跡を先へ進むと、明智平~茶ノ木平を結ぶ登山道へつながっている。
鉄塔と送電線のメンテナンス用巡視路に設置されていると思われる黄色いポール。鉄塔広場の上の方にあった黄色いポールには「中禅寺線68号」と記されていたので、〇〇号とは送電線の番号ではなく、このポールの番号だと判明。
後ろを振り返り、駐車した私の車が見える。ここを昭和7年(1932年)から平成6年(1994年)まで車がバンバン走っていたのである。
コンクリートの擁壁が見えるとそれが旧道の白雲トンネルの出口。国土地理院地形図だとここまで車道が続いているように描かれているが、実際は車道ではなくなっている。
近づいてみると、トンネル出入口は完全にコンクリで塞がれ、ご丁寧に石積みの模様まで付けられている。同じ模様がパターンとして繰り返し現れているので、型枠を使って模様付けをしてますね。ここまでやるということは、トンネル内部のメンテナンスは全く考慮されていないので、土砂がトンネル内部に詰め込まれてトンネルの空洞が崩落しないようにしてあるでしょうな、きっと。作業用の出入口も無いようだし。「白雲トンネル」の銘板は取り外されずに残されていました。
この踏み跡が鉄塔広場へ繋がる登山道。
現在地はここ。尾根を越えて向こうへ下ると旧道の明智トンネルと白雲トンネルをつなぐ車道に出られる。途中にあった橋の桁は無くなり、橋脚だけ残っているらしいが。子供が車で待っているため、今回訪れることはかなわなかった。「山さいがねが」の著者はそこまで脚を伸ばしてます(凄)。
現在の明智第二トンネル出口。片側相互通行だった頃の名残を残している。
というわけで、子連れハイキングの名を借りた、以前から気になってしょうがなかった交通機関の遺跡巡りの記録でした~。